邪馬台国の会 定例会会場 地図・アクセス 

        

  会場:東京都文京区西片1-17-3 
     文化シャッターBXビル2F BXホール

最寄駅・・・都営地下鉄 三田線 大江戸線 春日駅
      (駅出口より徒歩3分)

 
 ■交通のご案内■


 
 都営地下鉄三田線「春日駅」A6出口から徒歩3分
 都営地下鉄大江戸線「春日駅」(三田線のホーム経由)A6出口から徒歩3分
 東京メトロ南北線「後楽園駅」8番出口から徒歩7分
 東京メトロ丸ノ内線 「後楽園駅」4b出口から徒歩12分
 JR総武線「水道橋駅」 お茶の水寄り出口から 徒歩15分

  ★駐車場はございませんので、公共交通機関をご利用ください。


(道案内)

白山通りと言問通りの交差する西片交差点を目標にお越しください。
西片交差点より北方約250mの白山通り沿いに
会場のBX(文化シャッター本社)ビルはございます。

西片交差点からやや西(左)側にある源覚寺は
こんにゃくえんま として有名です。

文京区役所(シビックセンター)からは、
白山通りを巣鴨方面に向かい、およそ徒歩7分です。



      

  


 


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邪馬台国の会 会長プロフィール

  

氏 名: 内野勝弘 (うちの かつひろ)

出身地: 福島県いわき市生まれの東京育ち

現住地: 東京都世田谷区

最終学歴:  明治大学

☆文化シヤッター鞄チ別顧問  

☆「邪馬台国の会」(会員数1500名)会長


日本古代史関連の多くの勉強会を主催している。

会長を務める邪馬台国の会は2013年に結成30周年を迎える。



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おもに文献的理由

@記紀ともに、神武東征の伝承を記し、その大すじは、
 一致していること。

A神武天皇の時代は、それほど古い時代ではなく、
 三世紀末と考えられ、
 記憶の残りうる可能性は、十分に考えられること。

B記紀の神話は、地域的には、九州を中心としており、
 九州に生育したと考えられること
 (たとえば、記紀の神話では、九州地方の地名が、
 統計的には、もっとも多くあらわれる。)
 そして、そこで神々は、具体的な行動をおこなっている。

C「卑弥呼=天照大御神」「邪馬台国=高天の原=北九州」と
 考えられる。
 そのとき、北九州に都していたことになる卑弥呼
 (天照大御神)が、記紀では皇室の始祖とされていること。

D記紀の神話には、天皇家の祖先は、出雲へは海路で、
 日向には、陸路で行かなければならない場所
 (すなわち北九州)にいたと判断される記事のみえること。

E氏族の地域的分布から、貴族の中心地が、
 九州から大和に移動したと考えられること。
 そして、大伴、中臣、物部など各氏の発祥地が、九州らしいこと。

F三輪氏や磯城氏や宇陀氏のように、
 大和発生と考えられる豪族は、
 後世、地祇として、神武東征に加わった天神、天孫と
 伝えられる氏族と区別されていること。
 (これは、皇室の大和発生説からは、
 かなり説明がむずかしいように思われる)

G宇佐、壱岐、対馬、松浦など、九州の辺縁の地の、
 古い氏族が、天孫とされていること。

H九州と大和の地名の名づけかたの一致からも、
 大きな集団の移動のあったことが、推定されること。

I畿内には、固有地名としてのヤマトはなく、九州のヤマト、
 あるいは、邪馬台(ヤマト)の名を移したと考えられること。

J大和朝廷と北九州勢力との、
 大規模な闘争を思わせる伝承の存在しないこと。

Kわが国は、西から東へ開けていった。
 その古代の大勢からみても、無理のないこと。

L神武伝承は、作られたものとしては、理由のとぼしいこと。
 高天の原を、空想の生んだ天上の場所であるとし、
 皇室が大和に発生したとすれば、天孫が、天から大和に
 降臨したとする方が、皇室の権威をましうるかと思われる。
 それを無視して、作られた物語りとしては、
 理解しにくい西辺の九州に降臨したとしていること

 (日向が日に向かうという意味に解することができるので、
 そこを日の神の子孫の発祥地としたのであるとする意見がある。
 これについては、植村氏が、くわしく反論しておられる)。

M高天の原を、大和の反映であるとすれば、大和を去って、
 九州に降臨し、今一度大和にむかうことになり、やはり、
 不自然であること。
 記紀には、天孫の子といわれる饒速日(ニギハヤヒ)が、
 神武天皇よりもっと前に、大和に下ったことを伝えている。
 もし、高天の原が大和であるならば、
 祖国である高天の原から、
 おなじ高天の原である大和に降ったことになり、
 これも不自然である。

Nもともと、六、七世紀ごろには、
 長編の神話や神武伝承などを創作しうる文化的な基盤は、
 存在しなかったと考えられること。

O記紀の古代伝承の表現形式は、
 現代の歴史記述などの表現形式とは、異なっている。
 しかし、史的事実を伝える表現形式として、古代諸民族に、
 ふつうにみられるものであること。

P神武伝承などは『イリアス』や『オデュッセイア』に比べれば、
 はるかに神話性のすくない伝承であること。

Q殷墟やトロヤ遺跡の発掘などをはじめ、
 世界各国の神話伝承と史的事実との結びつきを示す
 数多くの事例をながめるとき、記紀の伝承のなかにも、
 あるていどの史実が含まれていると考えるほうが、
 妥当のように思われること。

R文献学的には、大和朝廷の大和発生を、
 積極的に示した古文献は存在せず、
 実証主義的文献批判学の立場から、
 消極的に想定されているにとどまること。

(以上の箇条書きは「新説倭国史」の著者 山本廣一氏がまとめたものを、山本氏の許可を得て引用したものです。)





おもに発掘される遺物的理由
                 ↓
   邪馬台国の遺物についての強い法則性



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関連リンク

安本美典説 早わかり (BEST T!MES)
 
   
  邪馬台国図書館   邪馬台国の会 川崎支部
   
 
 
 邪馬台国大研究
 
オトナ女子のための古代史サイト
古代史ファンの歴女様たちが気軽に
くつろげて楽しくおしゃべりできるサイト
    
          
  邪馬台国in吉備
テレビせとうちのふるさと敬愛プロジェクト
なないろ組」という番組が立ち上げたサイト
 
    
  

  全国の邪馬台国関連研究会の協議会
 
    
まりこふんさんが主宰する古墳大好き集団


      
















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  とても偶然とは考えられない
 福岡県朝倉市周辺と畿内大和の地名の相似性




上図は福岡県観光連盟発行パンフレット「福岡 古代ろまんの旅 邪馬台国時代編」より転載させていただきました。
  




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